
ども!はらちんでぇーす。
今回もPGAオタクの私が最近気になる選手のスイング分析、経歴、使用クラブなど特集して紹介します。
今回は我らが日本からジャンボ尾崎選手。
全盛期の時代は(1990年〜2000年ぐらい)試合は見たことないですが、年末に「ジャンボ尾崎」年末お年玉争奪戦は父親が見ていたので一緒に見ていたのを覚えています。
かっこいい絵になる男ジャンボ尾崎!
数年前にジャンボ尾崎を観戦しに行ったことがあるのですが、高齢に見えない若さとイデタチで他の選手にはないでっかいオーラがありました。

1ラウンド付いて回ったのですが、バーディーを決めた時にジャンボ尾崎の代名詞の右手首をひねるガッツポーツが観れたので感無量でした。

Contents
ジャンボ尾崎って誰?

昔 ↑
現在 ↓

ジャンボ尾崎 →本名 尾崎 正司 →尾崎将司
1947年の1月24日生まれの70歳
181センチ体重は90キロ 徳島県出身。
プロ野球選手だった!

ジャンボ尾崎選手が世に出た経歴から紹介すると、1964年春の甲子園優勝ピッチャーで1965年に西鉄ライオンズに入団!
なんとプロ野球選手だったのです。
ですが3年が経ち、1勝もできずに、プロゴルファー転向を掲げ、退団!
研修生を経て、1970年にプロテストに合格。わずか3年で・・・
そしてプロ転向後間もない1971年に日本の4大メジャーである日本プロゴルフ選手権で優勝!・・・おったまげー
プロツアー世界最多勝利数&日本ツアー賞金王12回圧倒的な強さと波乱万丈人生!
その後は着々と勝利を重ね、プロツアー113勝、日本ツアー賞金王12回圧倒的な強さで長らく日本のゴルフツアーのドンとして君臨した。
プロツアー113勝は世界最多の優勝回数で現在もやぶられておらず、2011年には世界ゴルフ殿堂入りをはたして世界的なプロゴルファーです。
同世代のライバルに青木功、中嶋常幸がいて、この三人で優勝を分け合うことが多く、「AON」時代と呼ばれた。
日本ツアーの全盛期!このころはPGAツアーよりも賞金が高額で、賞金目当てに海外の有名選手が多く日本ツアーに出場した。
今では考えられない。日本ツアーとPGAツアーでは現在ではツアー全体の賞金総額は10倍以上に溝を開けられている。
生中継で「AON」対決見たかったなあー。その世代の人が羨ましすぎる!
2002年の全日空オープンの優勝が最後でそれからは持病の腰の痛みが発症し、2006年に坐骨神経と、腰椎分離症を手術した。
プライベードでは黒い噂も流れます。893との交流も取りざたされてマスターズを辞退したり、2005年にはゴルフ場開発や事業に失敗して50億円の負債を抱え自己破産したそうです。
レギュラーツアー初「エージシュート」達成!
また大抵プロゴルファーは、50歳以降になるとレギュラーツアーからシニアツアーに主戦場を移すのですが、尾崎は70歳にしてもいまなお、レギュラーツアーで戦い続けています。
そして記憶に新しい2013年にレギュラーツアーの「つるやオープン」で1ラウンド「9アンダー」の62ストロークでレギュラーツアー初の「エージシュート」を達成した。
※エージシュートとは、自分の年齢よりも少ない打数で回ること。
このつるやオープンでの予選通過を最後に現在までレギュラーツアーで予選通過していない。
今年70歳の節目を迎えるジャンボ尾崎は、「今年結果が出なかったら、クラブをおく」と意味深な発言をしており、今後が注目されている。
ジャンボ軍団と尾崎3兄弟

ジャンボ尾崎選手には兄弟がいて尾崎建夫(ジェット)、尾崎直道(ジョー)がいる。
どちらもプロゴルファーであり、多くの優勝歴がある。
尾崎は全盛期に若手育成や勢力を広めるためにジャンボ軍団を結成し、合同自主トレなどを多く行った。
尾崎3兄弟を筆頭に飯合肇選手や金子柱憲選手、有名なプロゴルファーが軍団の一員で日本ツアーのリーダーズボードのほとんどがジャンボ軍団なんて試合も珍しくなかった。
歌が上手くCDデビューもしている
代表曲「君はいま」、「サマーラブ」、「少年のときめきで」アルバムは「on the green」を発売している。
男!って感じがして演歌ちっくな感じでめっちゃええ声でした。
坂口杏里と親戚

ジャンボ尾崎の弟、尾崎建夫が大女優の坂口良子と結婚し、ジャンボ尾崎は坂口杏里とも親戚である。

ゴルフ講師と整体師を仕事にしてます。原田千彰と申します。NZ,米、豪、三ヶ国のゴルフ留学経験と、有名コーチに習いゴルフを学び、対面での指導に限界を感じ、より多くの人に、自身のゴルフ上達論をお伝えする為に情報発信しています。